東京高等裁判所 昭和48年(ネ)1853号 判決 1975年9月23日
控訴人(附帯被控訴人) 小野崎公吉
被控訴人(附帯控訴人) 国
訴訟代理人 森脇勝 ほか三名
主文
一 控訴人(附帯被控訴人)の控訴により原判決中控訴人敗訴部分を取消す。
二1 原判決添付目録記載の土地につき、控訴人(附帯被控訴人)が所有権を有することを確認する。
2 被控訴人(附帯控訴人)は、控訴人(附帯被控訴人)に対し、右土地上にある原判決添付図面記載の鉄製石油タンク及び鉄道軌道を収去して右土地を引き渡せ。
3 被控訴人(附帯控訴人)の控訴人に対する反訴請求を棄却する。
三 附帯控訴人(被控訴人)の附帯控訴を棄却する。
四 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。
事実
控訴代理人は、主文と同旨の判決及び第二項の2につき仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却及び附帯控訴として、「原判決中附帯控訴人(被控訴人)敗訴の部分を取り消す。附帯被控訴人(控訴人)は、附帯控訴人(被控訴人)に対し、原判決添付目録記載の土地につき、昭和一六年六月一四日の売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。附帯控訴費用は、附帯被控訴人(控訴人)の負担とする。」との判決を求めた。
当事者双方の事実に関する主張並びに証拠の提出、認否及び援用は、次に付加するほかは、原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。(但し原判決四枚目-記録二五丁-裏一行目に「基く」とあるのを「基づく」と改める。)。
一、原判決三枚目-記録二四丁-裏九行目の「原告は」から同一〇行目の「使用させることにした。」までを「控訴人(附帯被控訴人―以下「控訴人」という。)は、昭和一六年九月ごろ、加藤邦男を代理人として被控訴人(附帯控訴人-以下「被控訴人」という。)の当時の旧陸軍航空本部の契約担当官と本件土地を飛行場使用の目的で、期間は戦争終結までと定めて使用貸借契約を締結した。」に改める。
二、原判決一〇枚目-記録三一丁-裏一一行目の「否認する。」の下に「本件土地を含む旧陸軍航空工廠の敷地の周囲に万年塀を築造したこと、その築造に至る次のような経緯等を総合すれば、被控訴人が本件土地の占有につき所有の意思を有していたことを認めることができる。すなわち、被控訴人は、昭和一六年、旧陸軍航空工廠を拡張して半永久的施設を設置するため、本件土地を含む付近一帯の土地を買収することとし、控訴人に対しても本件土地の買収を申し入れた。そして、旧陸軍省の申請で昭和一六年六月一四日付で土地台帳上、本件土地が一三七〇番一から分筆されているが、その分筆のための測量は、売買契約が成立したことを前提として行うものである。右買収手続が終るころ、拡張用地の周囲に高さ約二メートルの万年塀が築造され、旧陸軍航空工廠長以下、買収関係者は、本件土地を含めて右拡張用地のすべての買収が完了したことを信じて疑わなかつた。
なお、被控訴人が控訴人に対し、昭和一六年から昭和二二年まで本件土地につき地租を課したからといつて、被控訴人に所有の意思がないとはいえない。
すなわち、被控訴人においては、各権限を行使する機関が複雑多岐に分化しており、いかなる機関の意思をもつて被控訴人の意思と認むべきかは、係争法律関係と機関の有する権限との関連において決定さるべきである。本件土地は、昭和一六年、旧陸軍航空工廠用地として管理が始められたのであるから、所有の意思の有無も陸軍省の右関係機関(戦後は、大蔵省管財局)の意思により判断すべきである。したがつて、本件土地の管理と直接関係を有しない課税庁が土地台帳の記載に基づき地租を課したとしても、このことから被控訴人に所有の意思が無いと判断すべきではない。」を加える。
三、(証拠)<省略>
理由
一 控訴人が昭和一四年一一月一三日、本件土地を含む東京都昭島市中神町字西武蔵野一三七〇番一(旧表示・東京都北多摩郡昭和町大字中神字西武蔵野)山林七反九畝五歩を内野末吉から買い受けて所有権を取得したこと、被控訴人が本件土地を現に占有し、その土地上に原判決添付の図面記載のとおり鉄製石油タンク及び鉄道軌道の施設を所有していることは、当事者間に争いがない。
二 被控訴人は、本訴抗弁及び反訴の請求の原因として、被控訴人は、昭和一六年六月一四日ごろ、控訴人から本件土地を買受けてその所有権を取得したと主張するので、この点について判断すると、成立に争いのない甲第一〇号証の一から一四まで、第一一号証の一から一六まで、第一二号証の一、二、第一三号証、乙第一から一八号証まで、第二八、二九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第三二号証、原審証人加藤邦男、同猿谷吉太郎、同福岡一郎、当審証人大河内俊助の証言(加藤邦男、福岡一郎、大河内俊助の証言中後記採用しない部分を除く。)、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果(当審においては、一回、二回)によれば、次の事実が認められる。
被控訴人の旧陸軍は、昭和一五年三月三〇日飛行機の製造、試作等を目的とする旧陸軍航空工廠を新設したが、その数年前からその敷地となるべき土地を旧陸軍立川飛行場の近接地に求め、その買収を行い、右工廠の発足に必要な土地を一応確保したものの、右施設の拡充に迫まられ、昭和一六年、第二次の土地の買収を計画し、本件土地及びその周辺の土地を買収することとし、旧陸軍航空本部においてその事務手続を担当した。そして、同年九月ごろ、航空本部の右買収手続の担当官である将校数名が当時、東京市本所区亀沢町にあつた控訴人宅を訪れ、本件土地を買収したい旨申し入れたが、控訴人は、本件土地を含む中神の土地は、生まれて初めて手にした土地であり、環境もよいところであつたので、これを手離すことに強く難色を示したため、右担当官は、その場の交渉に結着をつけないまま引き揚げた。控訴人は、強大な権力をほしいままにする旧陸軍から半強制的に本件土地を買収されることを恐れ、昵懇の間にあつた陸軍航空兵大佐加藤邦男(後に少将に昇進)に対し、旧陸軍航空本部に本件土地の買収を断念するよう説得して貰いたいと懇願した。右加藤は、以前、旧陸軍航空本部に勤務したこともあつて、そこには、知己も多かつたので、それらの者と本件土地の買収の件について話し合い、控訴人の希望にそうよう計られるよう尽力することを引受けたが、その後控訴人に対しては、航空本部としては、本件土地を買収しないこととなつたという旨を伝えた。控訴人は、その後、旧陸軍航空本部から何の連絡も受けず、ましてや本件土地の買収代金の提供送付を受けたこともなく、被控訴人に対する所有権移転登記手続をするよう求められたこともなかつた。
本件土地の南西に隣接する神田佐吉所有の同所一三六九番三の土地は、昭和一六年六月一四日、同番一から分筆され、同年一月二四日、旧陸軍省による買収を原因として同年七月五日所有権移転登記がなされ、右一三六九番三の土地の南西に隣接する岩城常蔵所有の同所一三六八番三の土地は、同年六月一四日、同番一から分筆され、同年一月二四日、旧陸軍省による買収を原因として同年七月二日所有権移転登記がなされ、本件土地の東北に近接する伊藤琢郎所有の同所一三七一番二七、三三、三四、三五の土地は、昭和一五年九月五日から昭和一六年六月一四日にかけて分筆され、同年八月一三日、旧陸軍省による買収を原因として同日所有権移転登記がなされ、本件土地の西北に隣接する田村半十郎所有の同所一三八一番二、一三八七番二の土地は同年六月一四日分筆され同年一月二四日旧陸軍省による買収を原因として同年八月七日所有権移転登記がなされ、同じく本件土地の西北に隣接する岩崎忠一所有の同所一三八八番の二の土地は同年六月一四日分筆され同年一月二四日旧陸軍省による買収を原因として同年六月二七日所有権移転登記がなされ、以上いずれの土地もそのころ、旧陸軍用地として除租の手続がとられているにもかかわらず、本件土地は、同年六月一四日、一三七〇番一から分筆されたものの旧陸軍省への所有権移転登記手続も土地台帳上の除租の手続もされず経過した。そして旧陸軍航空本部は、そのころ、本件土地及び買収の完了した周辺の土地の周りにコンクリート製の万年塀を設置して旧陸軍航空工廠の用地として使用するに至つた。
原審証人加藤邦男、福岡一郎、当審証人大河内俊助の証言中右認定に反する部分は、採用しない。
右認定した事実によれば、本件土地の周辺の土地は、旧陸軍航空工廠の拡張のための敷地として旧陸軍省により買収されたが、本件土地の買収については、控訴人に対し、その交渉がされたものの、結局は不得要領のまま終り、占有だけが移されたのであり、買収に関する契約は成立しなかつたことが推認されるものである。
原審証人福岡一郎は、旧陸軍省による右一連の土地買収において、抵当権の設定登記のある土地については、その抹消登記がされるまでは代金は支払われず、被買収者の責任によつて抹消登記がされて初めて旧陸軍省に対する所有権移転登記手続がされる取扱いであつたと供述するが、しかし、そうであれば、資力のない者の土地を買収するときは、そのまま放置すれば、永久に代金が支払われず、旧陸軍省への所有権移転登記はされない結果にもなりかねないのであつて、右証人の右供述部分は採用できず、かえつて当審証人大河内俊助の証言によれば、右買収手続は、旧陸軍航空本部の担当官によつて徹底して押し進められたことが認められるから、抵当権の設定登記のされた土地の買収にあつては、買収手続を担当する係官は、抹消登記手続について被買収者に積極的に協力し、抹消登記がされるようにしたことを窺うことができ、本件土地について買収はされたものの抵当権の設定登記がされていた故に未だ代金が支払われず、旧陸軍省への所有権移転登記がされなかつたものとすることはできず、また、成立に争いのない乙第三四号証の一から三まで、原審証人篠彦三郎の証言によれば、右旧陸軍航空工廠の近辺の土地で旧陸軍省によつて買収されたが所有権移転登記がなされず、昭和三八年から昭和四二年に至つて売主の承諾の下に、被控訴人に対し所有権移転登記がされたものがあることが認められるが、右篠の証言によれば、右土地については、買収当時、すでに代金が支払われていたことが窺われるから、右事実をもつて本件土地についても買収がされていたと推認することはできない。
そして他に本件土地が買収されたとのことを肯認する的確な証拠は存しないから被控訴人の主張は、理由がないことに帰する。
三 次に被控訴人の時効取得の主張について判断すると、前記認定のように被控訴人は、遅くとも昭和一六年九月ごろから本件土地の占有を始めたものであり、現に被控訴人が本件土地を占有していることは、当事者間に争いがないから、被控訴人の本件土地に対する占有は、その間、継続したものと推定され、したがつて、被控訴人は、その間、本件土地を所有の意思をもつて善意、平穏かつ公然に占有して来たものと推定される。
四 しかし、控訴人は、被控訴人の本件土地の占有には、所有の意思がないと主張するので、この点について判断する。
占有者の所有の意思の存否は、占有者の内心の意思によつてではなくて、当該占有を生じさせた原因たる客観的事実によつて決定されるものであるところ、前認定のように本件土地につき被控訴人によつて買収がなされたとのことは認められないのみならず、本件土地は、七反四畝を超えるもので、国有財産の状態を常に明瞭にしておく必要のある被控訴人が特段の事情もなく、昭和一六年から本訴請求が係属し、反訴を提起するまで三〇年近く本件土地の所有権移転登記についてこれを経由しないまま何らの措置もとることなく放置し、地租についても昭和二二年に国税から地方税に改正されるまでは、土地台帳上も除租処分の記載もされず、控訴人に対し督促までして徴収していたものであり、このように通常の取引(旧陸軍省による買収も売買にすぎず、通常の取引にほかならない。)としては異常の状態にある場合には被控訴人から右のような異常の事態のやむなきことの事情が明らかにされない限り、被控訴人には所有の意思がなかつたものというのが相当である。本件土地の占有が戦時下の旧陸軍施設の拡張のための周辺の土地の買収に伴いかなり強引にされたこと、その後、数年にして敗戦により旧陸軍が崩壊し、その所管の不動産等は、すべて大蔵省に引き継がれたが、その引継ぎに敗戦による混乱があつたこと、国有財産の所管機関と地租の課税機関とは一応、別個の機関であることなどの事情が存在するとしても、成立に争いのない乙第三五、三六号証、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第三一号証、前記証人福岡一郎、大河内俊助の証言、原審証人安居院邦雄の証言によれば、買収手続は、適法な手続に従つてされ、買収された土地については、土地台帳上、除租処分の手続がされたこと、大蔵省への所管の引継ぎにおいても旧陸軍で焼却された書類以外は、終局的には引き渡されたことが認められ、右事実と国有財産の所管機関と地租の課税機関は別個であつても国有財産の明確な把握と課税措置の厳正的確の必要性を併せ考えると、本件のような異常な状態が特段の事情に基づくものであり、まことにやむを得なかつたということはできない。
したがつて、本件土地の占有者である被控訴人は占有につき所有の意思を有しないという控訴人の主張は、理由があることとなり、被控訴人の本件土地についての時効取得は、認められない。
五 以上の次第で、控訴人の本訴請求は、その他の点について判断するまでもなく正当であり、被控訴人の反訴請求は、失当というほかなく、これと趣旨を異にする原判決中控訴人敗訴部分を取消し、控訴人の本訴請求を認容して、反訴請求を棄却すべく、被控訴人の本件附帯控訴は理由がないから棄却すべく、仮執行の宣言の申立ては相当でないので却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 吉岡進 兼子徹夫 榎本恭博)